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故・相米慎二監督にみいだされ、映画「ションベン・ライダー」で主役グループの一人に抜擢(ばってき)された。演技未経験の高校生だった永瀬は、鬼監督で知られた相米から厳しい指導を受けた。

 およそ30年後。台湾映画「KANO」(馬志翔〈マージーシアン〉監督)の現場であったのは、デビュー当時の自分と同い年ぐらいの演技未経験の少年たちだった。「不思議なもんですよね。彼らと当時の自分、いろんなことが重なりました」

 舞台は日本統治時代(1895~1945年)の台湾、嘉義(かぎ)農林学校の野球部を率いた近藤兵太郎監督の実話に基づく。永瀬が演じた近藤監督は、日本人、台湾人、先住民のわけへだてなく選手に接した。チームを猛特訓して、台湾代表として甲子園に出て準優勝するまでの強豪に育てあげた。

 台湾の制作陣からは「日本人ならどう思う」と何度となくきかれた。「懐が広いなって、とても感謝しています。自分なりに調べて近藤監督ならばこうしたんじゃないかとか、中国語のセリフを直訳した際の違和感を伝えました」

 映画の中では鬼監督の表情を崩さなかった。一方、現場では、「生徒たちにふっと気を抜く瞬間を作ってもらいたい」とふざけたり話しかけたりした。「彼らは撮影がない日も朝一番にグラウンドにきて、雨のときは宿舎で室内練習していた。本当の強豪校のようにすごく頑張っていた」

 最後の試合が終わった後、近藤がベンチから出て選手たちを迎える場面がある。だが当初はどこか文語調の長台詞(ぜりふ)だったという。「当時の日本人だったら飾りけのない一言で済んだのでは。自分で考えるから当日まで待ってほしい」と監督に頼んだ。

 ふっと心に浮かんだのは、相米監督に初めてかけられた褒め言葉。デビュー作のクランクアップ後、銭湯で相米監督の背中を流していたときに背中越しに言われた。「この一言の裏にいっぱいある思いを、みんなきっとキャッチしてくれるのでは」

 厳しい撮影をやり遂げた少年たちのねぎらいと同時に、天国の相米監督への感謝を込めて、その一言を発した。当時の永瀬少年同様、涙が止まらない少年たちは肩を震わせながらしっかり受け取った。
 (文・写真 伊藤恵里奈)
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